私たちは何でご飯を食べているのか


私たちは何でご飯を食べているのか。それを考える上でこの記事はすごくおもしろい。特に、以下の内容。

NYの内科医(年俸は50万ドル)はCT撮影した画像を帰宅前にPCにインプットしておく。時差のあるバンガロールでハーバード、プリンストン等トップの医学部を卒業したインドの医者が(彼の年俸は5万ドル、豪邸に住み、彼の好きなインド料理をメイドが作る生活をしている)画像を分析してNYに送る。NYの医者は朝出勤すると全て分析の終わった画像を見て、患者に対応する。NYの医者は彼の患者を丁寧に扱い、心配ないよと声をかけることに一番の価値を見出す。


私たちの価値とは、この能力ではないか?と思う。前に以下のエントリーを書いた。

あと、大手企業とベンチャーの違いが面白い。特に、大手企業の企業内特殊スキル。

入る前は、このスキルをバカにしてたけど、実際仕事できる人はこのスキルが半端なく長けている。誰にどう聞いたら問題が解決できるのかを熟知してる人は強い。

大手では、自分の熟知できる範囲を大きく超えてレベルで仕事が進む。一人で仕事は完結しないし、サービス内容も細かいところは主幹しか分からない。仕事は組織を前提に進む。

なので、新入社員の時に誰もが企業内特殊スキルではなく、一般的なスキルを身につけたいと思おうが、現実は許してくれない。


企業内特殊スキルとは、how toならぬwho toのスキルを社内に特化したもの。しかし、上のNYの医者は、who toのスキルを企業外、グローバルな業界内で高めて、実行しているのである。


私たち知的労働者は知的であることが求められる。知的さというと分析力が優れているとか、タスク管理スキルが高いとか、そういうことを考える。しかし、そんなものはしょせん部分である。最大目標は成果をあげることであり、そのために分析、タスク管理、そして社内外のリソースをうまく使うというスキルが必要になる。


大企業はたまたま自社内組織のリソースが多大であるがゆえに、企業内特殊スキルと化した。だが、コンサルなどがリサーチや分析を外注するように、一見知的に見えるような仕事も他人が安価に良質に可能ならばそれを外注して、顧客満足を生み出すことが私たちの知的さではないだろうか?


そして、その知的さを身に付けるために精進すること。それが私たちが進むべき道ではないだろうか?